第2回:膠着する事態と「下着の告白」――沈黙の壁に開いた風穴

2017年12月。私の期待は、冷酷な現実によって打ち砕かれました。
教育委員会に依頼していた調査が、わずか2ヶ月で「打ち切り」となったのです。

理由はあまりに理不尽なものでした。
「加害教諭が調査に応じないため、これ以上の事実確認は困難である」というのです。

公的な機関が、一人の元教師の「拒否」によって、過去の出来事をうやむやにする。
この国で声を上げることの難しさを、私は身をもって知りました。

しかし、私はここで終わるわけにはいきませんでした。
なぜなら、まだ試していない手が残っていたからです。

目次

1. 「絶望」を「発信」に変える

調査が打ち切りになった後、私はメディアへのアプローチを始めました。

新聞社の情報提供フォームにメールを送るところからです。

誰に届くかもわからない。

まるで、砂漠に手紙を落とすような作業でした。

2018年3月、一人のジャーナリストが話を聞いてくれることになりました。

それが初めての「取材」でした。

5月に雑誌に掲載されましたが、世の中が大きく動くことはありませんでした。

「ここまでやっても、何も変わらないのか」
そんな思いが、何度も頭をよぎりました。

2. 運命を変えた「修学旅行の忘れ物」

2018年4月。私はある行動に出ました。
加害教諭に対し、一通の手紙を送ったのです。

内容は、過去の出来事を直接問うものではありませんでした。

「中学時代の修学旅行で忘れた下着を返してほしい」

という、極めて具体的な物品の返還を求めるものでした。

この行動には、表には出していない意図がありました。
ただ、その部分については、ここでは詳しく触れません。

手紙を送ってからわずか2日後、加害教諭から一通のメールが届きました。

「下着は、引っ越しの時に捨てました」

その一文を読んだ瞬間、私は「流れが変わった」と感じました。

彼が引っ越しをしたのは、私が卒業してから7年も後のことです。
なぜ、ただの教え子の忘れ物を7年間も持ち続けていたのか。

その違和感は、無視できないものでした。
ただ、このあたりの判断については、少し説明が必要になる部分です。

3. 動かない現実と、それでも続ける理由

私はこのメールを教育委員会に提示しました。
しかし、反応は驚くほど鈍いものでした。

明らかな矛盾があっても、組織はすぐには動かない。
その現実を、何度も突きつけられました。

2018年10月、朝日新聞の夕刊に匿名で記事が掲載されました。
長い取材の末、ようやく世に出た大きな記事です。

それでも、状況が劇的に変わることはありませんでした。

証拠があっても、記事になっても、すぐに何かが変わるわけではない。
その現実に、何度も心が折れそうになりました。

2018年の終わり、私は一度、手を止めようと考えました。
しかし2019年の正月、ふと思い立って出した一通の年賀状が、
さらに思いもよらない事実へと繋がっていきます。

(第3回へ続く)

この記事では、考え方の整理を中心にお伝えしました。

より具体的に、証拠がない状態からどのように判断し、
どのように動いたのかについては、こちらでまとめています。

👉 https://note.com/shoko_shiko

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