第1回:証拠ゼロ、時効完成からの逆転劇。30年前の「被害」をどう立証したか(調査編)

人生には、どれほど時間が経過しても癒えることのない「棘」が刺さっていることがあります。

私にとってのそれは、1988年、中学1年生の秋から卒業まで続いた、ある教師による卑劣な加害行為でした。

2017年10月。私がようやく市教育委員会へ調査依頼の声を上げたとき、事件からすでに30年近くが経過していました。

法律が定める「時効」はとっくに完成し、世間一般の常識で言えば「終わったこと」と切り捨てられる事案です。

しかし、私の心の中の時計は、あの中学校の暗い放課後で止まったままでした。

目次

「証拠がない」という絶望からのスタート

調査を依頼したものの、手元には証拠らしい証拠など何一つありませんでした。

同級生とは卒業以来疎遠で、誰がどこにいるかもわからない。

加害者は世間では「問題のない教師」として平穏な退職生活を送っている。

「今さら何を言っても無駄だ」 「証拠なんてあるはずがない」

周囲の冷ややかな視線や、自分自身の内側から聞こえる諦めの声。

何かにつまずき、人生を投げ出しそうになっている時、一番の敵はこの「どうせ無理だ」という絶念です。

ですが、私は確信していました。

塾講師をしていた頃、教え子から聞いた「あの教師は今でも男子生徒に触っている」という生々しい噂。

あの教師は変わっていない。

今もどこかで、かつての私のような子供が生まれているかもしれない。その怒りが、私を動かしました。

孤独な「点」を繋ぐ作業

私は一人で、過去の断片を拾い集める作業に入りました。

県立図書館に籠もり、何十年分もの新聞の過去記事を捲る日々。

記事にはなっていなくても、人事異動の記録に「不自然な転勤」はないか。

FacebookやかつてのMixiを掘り起こし、加害教諭に対する恨みの声や、同級生たちの繋がりを執拗に追いました。

この作業は、暗闇の中で砂粒を探すような孤独なものです。

情報を探っていることが相手に漏れれば、先手を打たれるリスクもあります。

誰を信頼し、誰に偽の情報を流し、誰から真実を聞き出すか。

私は一人の当事者であると同時に、冷徹な調査員にならざるを得ませんでした。

ほんのわずかな「光」

2015年、最初に周囲に話を聞いた時は「放課後残されるなんてよくあることだ」と一蹴されました。

しかし、私は諦めず、ある教育関係者にぶつけました。

「教師が、特定の生徒に『不良の面倒を見ろ』と押し付けるのは、教育として正しいのでしょうか?」と。

返ってきた答えは、「それは生徒のすることではありません。指導として不適切です」という明確な否定でした。

この一言が、どれほど私の救いになったか。

30年間、「自分に落ち度があったのではないか」と自問自答し続けてきた私にとって、専門家による「それはおかしい」という客観的な言葉は、暗闇に差し込んだ一筋の光でした。

「あの教師は普通の教師ではない。指導に問題のある教師だったのだ」

この小さな事実の積み重ねが、やがて巨大な壁を穿つドリルになります。

2017年10月に、私は千葉県教育委員会及び松戸市教育委員会に、自身の中学時代のトラブルについて、調査を依頼しました。

(第2話へ続く)

この記事では、考え方の整理を中心にお伝えしました。

より具体的に、証拠がない状態からどのように判断し、
どのように動いたのかについては、こちらでまとめています。

👉 https://note.com/shoko_shiko

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次