2022年、私は千葉簡易裁判所の門を叩きました。30年以上前の性被害を「下着の返還請求」という法的な回路に乗せ、自ら訴状を書き上げた「本人訴訟」の始まりです。
相手はかつての担任で部活の顧問。組織もメディアも動かなかったこの絶望的な戦いを、私はたった一人、法律という武器だけでこじ開けようとしていました。
1. 意表を突かれた「答弁書」と、加害者の自爆
第1回口頭弁論の日。私は緊張で張り詰め、開廷の1時間も前に裁判所へ着いていました。傍聴席で前の裁判を眺めながら自分の番を待っていると、書記官から声をかけられました。
「栗栖さん、答弁書(被告側の反論)が出ています。印鑑はありますか?」
不意を突かれ、カバンの中で印鑑を探す手が震えました。ようやく受け取ったその書類。恐る恐る目を通すと、そこには弁護士の名前がありませんでした。つまり、相手も「本人」で戦うつもりだったのです。
そして、そこに記されていた反論を読んだ瞬間、私は自分の目を疑いました。 加害教諭は、下着を持っていた事実は認めた上で、こう主張してきたのです。
「下着は、彼(私)からもらったものです」

「なんだこいつ! 馬鹿じゃねえのか!」 心の中で叫びました。通常、こうした裁判では「やっていない」「持っていない」と全否定するのがセオリーです。しかし、彼は「もらった」という、到底あり得ない言い訳を選んだ。
それは法的に言えば、「下着を所持しているという客観的事実」を自ら認めてしまったことを意味します。私の戦術が、相手に致命的な「自爆」を強いた瞬間でした。
2. 裁判官の言葉と「擬制自白」
11時30分、開廷。加害教諭の姿はありませんでした。 裁判官は、私の訴状と相手の答弁書を見比べ、ふっと笑って私に話しかけてきました。 「君、よくこんなことを思いついたね。誰かに言われたの?」
別に誰に教わったわけでもありません。ただ、真実を認めさせるために必死で考え抜いた唯一の道でした。私が相手の答弁書を指し、「被告は所持を認めていますが……」と言うと、裁判官はこう答えました。
「うーん、擬制自白(ぎせいじはく)だね」
擬制自白とは、相手の主張を争わなかった場合に、その事実を認めたものとみなす法的なルールです。さらに裁判官は「こういった(深刻な)ことを言われた場合は、通常は全力で争うものなんだけどね」と付け加えました。
相手が法廷から逃げ、支離滅裂な弁解をすればするほど、私の主張する「30年前の真実」の輪郭が、裁判所の記録として刻まれていきました。
第1回期日で加害者が放った「下着はもらった」という支離滅裂な答弁書。裁判官から漏れた「擬制自白(ぎせいじはく)」という言葉。状況は私に圧倒的に有利でしたが、私はここで攻撃の手を緩めるつもりはありませんでした。
「事実を、公の記録として完璧に固定する」 その執念が、私をさらなる法的書面の作成へと駆り立てました。
3. ベテラン弁護士の絶叫:「なんですか、こいつ!」
判決を確実なものにするため、私は「準備書面」と「陳述書」を自力で書き上げました。内容に法的不備がないか確認するため、弁護士会の無料相談室を訪ねました。
担当したベテラン弁護士は、私が持参した加害者の答弁書を一読するなり、驚きのあまり身を乗り出して叫びました。
「なんですかこいつ! 全部認めているじゃないですか! ふざけた奴だな!」
法律のプロの目から見ても、加害者の主張はあまりに異常であり、かつ私の主張を補強する自爆行為でした。「あなたの書面で何の問題もありません。自信を持って出しなさい」という太鼓判をもらい、私は確信を持って書面を裁判所へ提出しました。
相手はその後も法廷に姿を現さず、不誠実な対応を繰り返しましたが、それは逆に「反論不能」であることを露呈させる結果となりました。
4. 9月2日、雨の日の判決受領
判決日は2022年9月1日。しかし、民事裁判では当日に行く必要はないため、私は翌日の9月2日に判決謄本を受け取りに裁判所へ向かいました。
その日はあいにくの雨でした。 受付で渡された書類の束。いつもと違う書記官が差し出した判決謄本、その一番上の文字が「被告」で始まっているのが見えた瞬間、心臓が跳ね上がりました。
「勝った。」
出口に向かう途中で内容を走り読みし、自分の主張の多くが認められていることを確信しました。しかし、あまりの緊張と高揚感で、その場でじっくり読むことはできませんでした。
5. エスカレーターで目にした「真実の証明」
裁判所を出た私は、雨を避けるように近くのイトーヨーカドーに入りました。 はやる気持ちを抑えられず、下りのエスカレーターに乗っている最中に、カバンから判決文を取り出しました。
そこには、私が30年以上抱え続けてきた「被害の事実」が、裁判所という公の機関によって論理的に認定されたプロセスが刻まれていました。
「やった……」
声には出せませんでしたが、エスカレーターを下りる数分間、私は震える手で何度もその文字を追いかけました。500円の下着の返還を求めるという「小さな入り口」から入った戦いが、30年前の「巨大な真実」を認めさせた瞬間でした。


「論理」が人生を救うということ
当時の私はまだ資格のない一市民でしたが、この時、「法律という武器」がどれほど残酷な過去を浄化してくれるかを身をもって知りました。
「油断は禁物だ。控訴されたらまだ終わらない」 帰りの電車の中で自分にそう言い聞かせながらも、私の胸の中には、これまでにない確かな「自信」が宿っていました。
次回、いよいよ最終回。 判決の確定、そして朝日新聞などによる実名報道。逃げ回る加害者を「社会の光」の下へ引きずり出した決意と、私が司法書士という道を選んだ理由についてお話しします。





