第3回:「動かない現実の中で見えたもの|裏でつながっていたという違和感」

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1. 燃え尽きかけていた年末

2018年の末、私は燃え尽きかけていました。
決定的といえる材料を手にし、新聞にも掲載された。それでも、状況はほとんど変わりませんでした。

「もう、自分の人生を生きよう」

そう思いながら迎えた、2019年の正月。
私は一通の年賀状を書きました。

宛先は、中学時代、同じ学年にいたWという教師でした。
当時、加害教諭と最も近い立場にいた人物です。

この時はまだ、それが何につながるのかは分かっていませんでした。

2. 思いがけないメール

その後もやり取りは続き、2020年10月末。
Wから一通のメールが届きました。

そこには、加害教諭と今でも連絡を取り合っており、
実際に会っていること、さらにこれから遊びに行く予定まで書かれていました。

その内容は、具体的なものでした。

3. それまでの説明とのズレ

これまで、加害教諭は教育委員会の調査に応じず、
私からの連絡にも「具合が悪い」と言って距離を取り続けていました。

その言葉を、私は少なくとも表向きには受け取るしかありませんでした。

ですが、その一方で、元同僚と会い、出かける予定まである。

この時、私の中に、抑えきれない怒りの感情がわいてきました。

「こいつらもう許さん」

それが率直な気持ちでした。

5. 学年主任の発言

私は記者に連絡しました。

「これは許せない。Wに取材してほしい」

そう伝えたのを覚えています。

そのやり取りを受けて、最終的に記者はWに取材をすることになります。

取材の中で、Wは記者に対して、こう話していました。

「栗栖君の両親が訴えて、あの先生(加害教諭)は当時『転勤』になったんだよ。その時に栗栖君の被害の噂を聞いたんだ」


6. 引っかかった「噂」の一言

この言葉は、一見すると私の側に立った説明のようにも見えます。

ですが、どこか引っかかるものがありました。

それまでのやり取りや、見えていた流れと、
そのまま重ねることができなかったからです。

私の中には「両親が人権委員会になど行くわけがない」という確信がありました。

「噂」で聞いたなどあり得ないのです。

じゃあ、なぜ彼は私の被害を知っていたのか?

断片だったものが、少しずつ形を持ち始めていました。

ただ、この時点では、まだ確実な勝利を予感してはいませんでした。

それでも、

「少なくとも、負けることはない」

そう感じていました。

私はもう、待つだけでは終わらないところまで来ていました。

(続く)

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