高校時代の思い出2

高校時代の話の続きです。

話のあらすじ

中学時代担任で部活の顧問から性被害に遭った私は、卒業して高校生活を楽しく送る予定でした。しかし、高校の男子バレー部には見た目が極道としか思えない顧問が存在していました。

しかし、この人物は、結果として私にいい影響を与えることになります。

今回はその極道教師である顧問との人間関係が変わるきっかけになる時の話です。

目次

初めての会話

雰囲気の良いバレー部の上級生たち

入部して一週間以内で退部すると思っていましたが、気が付いたら2週間がたちました。

極道教師である顧問とは当時まだほとんど口を利くことがありませんでした。

高校のバレー部の雰囲気は非常に良かったと思います。

中学時代のバレー部は同級生にも上級生にも問題を起こすタイプの人間がいていろいろと苦労しました。

しかし、高校時代は、比較的治安の良い船橋市の進学校と言う事もあり、性格に難のあるタイプの上級生はいなかったです。

私は相手の性格を知りたくなると、あえて挑発的な態度をとって相手を試すという事をするときがあります。

ただ、これは相手を怒らせてしまう場合があります。
あまり真似をしない方がいいと思います。

中学時代の同級生であれば、血相を変えて「栗栖お前生意気なんだよ!」となるのですが、彼らは違いました。

なぜか「栗栖ゴメンね」と謝ってきたのです。

正直これは驚きました。

そして、

まずいから二度と同じことをしないようにしよう

と反省しました。

傷つけられていた自尊心

快適に思えた高校生活ですが、私には問題がありました。

中学時代担任で部活の顧問の教師から性被害に遭っていた私は、自尊心がかなり傷つけられていました。

また、部活動でも「お前のせいで負けたんだ」などと言われたため、プレーするときでも自信が持てませんでした。

そして、加害教諭は私に対して「反省が足りない」と怒鳴りつけ、叱られたときは下を向くことを要求しました。

中学時代は驚くことばかりでした。

子供の頃習い事をした時も、一部の保護者に子供に殴り掛かって大喜びする悪質な親はいたのですが、ほとんどの保護者は子どもに対して優しかったです。

学年が違うからと言って偉そうな態度も取りません。

それが中学になると教師は「監督」と言う立場でふんぞり返り、入部も退部も教師が許可しなければ許さないというのです。

辞めるのは本人の意思のはずなのですが…。

「なんで教師と言うだけであんなにふんぞり返っているんだ?」と思っていました

千葉県は管理教育で有名だったので、その影響もあるのかもしれません

私はこの強権的なシステムが嫌でしたが、逆らう事は出来ませんでした。

そして、次第に心がむしばまれていきました。

顧問から発せられた意外な一言

そして、とうとう極道教師である顧問が私を呼びつけるときが来たのです…。

栗栖ちょっと来い!

背後から来た声に動きが止まりました。

とうとう来たか…と覚悟しました

顧問の所に行き、黙って下を向いていました…。

反省しているふりをすれば何発かは減るだろうと思っていました…

呼ばれた理由分からないんですけどね…

黙って歯を食いしばっていたのですが、顧問は一向に殴り掛かってきません。

そして、私が予想しなかった言葉を彼は発したのです。

お前俺が怖いのか?

「当り前だ!」と言いたかったのですが、あえて本音を押し殺しました

そして、「怖くないです」

と小さい声で言いました。

ウソつきました…

彼は言葉を続けました。

お前を指導した奴はお前を殴ったのか?

中学時代加害教諭は私に対して性暴力をふるっただけでなく、一日30発以上も平手打ちをしていました。

そのため、私は「はい」と答えました。

即答しました!

すると彼は

俺はお前を殴らない

と言いました。

さらに彼は

好きなことくらい楽しんでやれ!

と続けました。

また、彼は加害教諭がバレーボールの素人であることを見抜いたらしく

そいつに言われたことは気にするな!
そいつはバレーボールの事を何もわかっていない!

と私に言いました。

彼の言葉には驚きました。

しかし、彼を無条件に信じるわけにもいきませんでした。

「どうせいつか殴ってくるに違いない」そう思って練習に戻りました。

しかし、この日を境に私と極道顧問との関係は好転していくことになります。

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