意見を言う権利は誰にでもあるのではないかという話

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長瀬智也さんの裏金問題に関する投稿について

唐突ですが、私はTOKIOが好きです。

これを書くと「ジャニー喜多川の事件を忘れたのか」というヒステリックな批判があることでしょう。

しかし、誰が何と言おうが私はTOKIOが好きです。

実は私の先祖は福島県出身です。

東日本大震災の時、福島県は福島第一原発の事故により甚大な被害を被りました。

その時、福島県に力を貸してくれたのがTOKIOの皆さんでした。

さらに、私は「白線流し」の時から、長瀬智也さんのファンです。

「AMBITIOUS JAPAN」や「宙船」は名曲だと思っています。

子供への性加害は許されませんが、TOKIOの皆さんが歌っている曲まで憎む必要はないと思います。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざがありますが、すべてを批判される方は、日本中のお坊さんの袈裟をすべて憎めというのでしょうか?

何より、私の先祖のいた故郷に対して、彼らがしてくれたことに対する感謝まですべてなくせというのは言い過ぎだと思います。

ちなみに、そういった考えを「思想統制」と言います。

もっとも、今回言いたいのはそのことではありません。

実は今回の衆議院議員選挙の際、長瀬智也さんがインスタグラムに自民党の裏金問題を批判する投稿をされていたそうです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/8028fb56333f85c686456214cc398e40b93d9ec7

この件について、様々なところで話題になりました。

長瀬さんが普段どういうことを考えていらっしゃるのかはわかりません。

ただ、自由に意見を言う権利は、芸能人であれ一般人であれ保証されるべきだと思います。

私はどちらかと言えば真ん中より少し右寄りの人間です。

共産主義など大嫌いという考えをしています。

ただ、あからさまな誹謗中傷や、きわめて常軌を逸した人格非難でなければ、たとえ考え方の違う人間であっても、許容されるべきだと考えています。

大体、同じような思想傾向の持ち主がすべて味方なわけがありません。

右寄りの人間にも、左寄りの人間にもいい人はいます。そして、どちらにも嫌な人はいます。

他人を利用しておいしい思いをしようとする人間は、自分は他人を散々利用しておきながら、最後には「あいつは自分たちを利用するつもりだったんだ」などと言って、こちらを非難したりします。

少しは他人に対する感謝を身につけたらいかがなのでしょうか?

礼儀作法を解く人間ほど礼儀を知らないことはよくあることです。

話を戻しますが、たとえその意見が多少の皮肉を込めてのものであっても、許容される範囲内の事については、私は問題視すべきではないと思います。

そういった意味で、今回の長瀬さんの投稿に対しては「あれこれ言わなくてもいいのではないか」と思いました。

単なる雑感に過ぎないのですが、これが偽らざる本音です。

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