高校時代の思い出(最終話)

この話の目的

私は中学時代男子バレー部に所属していたのですが、バレー部の顧問で担任でもあった教師は私にキスをしたり、フェラチオをしたりさせたりとする人物でした。さらに、この人物は私が性暴力を拒むと一日30発以上平手打ちをするなどの暴力をふるっていました。

男子バレー部は私が入学したころは「松戸市で一番弱い」と言われていたのですが、私たちの代にシード権を獲得します。当時私たちは「強くなるには暴力や暴言があっても仕方ない」と思い、皆嫌な思いそうぃながら我慢してきました。たとえ顧問がバレーボールの素人でも「面倒見てもらえるだけ幸せ」と思わされ続けました。

高校時代のバレー部の顧問は、バレーボールの元全日本代表候補でしたが、彼は私を一度も殴ることはありませんでした。そして、そのことを通して私はスポーツに体罰が不要だという事を学びました。

この話を通じて、私自身がどう認識を改めたのか、そして、スポーツに暴力は必要かを皆様に考えて欲しいと願っています。

目次

顧問に対して怒りを感じた時の話

サーブを40分以上打たされた時の出来事

今まで私は顧問との良好な人間関係について書いてきました。

しかし、彼に対して怒りを感じたこともあります。

確か高校1年の5月くらいの事でした。上級生たちがサーブレシーブの練習をしていたのですが、顧問に「栗栖お前がサーブを打て」と言われたので、黙ってサーブを打っていました。

最初の方は普通にいろいろと考えながらサーブを打っていたのですが、練習が終わる気配はありませんでした。もっとも、その日は土曜日で練習は3時半までだったのたかが知れていると言えばそれまでなのですが…。

30分くらい一人でサーブを打ち続けていくうちに、次第に疲れてきました。そして、隣にいた同級生に「代わって」と頼んだところ、

顧問が

栗栖に打たせろ

と言い、結局私がサーブを打ち続けることになりました。

かなり肩の筋肉が貼っていたのですが…。

この時ばかりはかなり怒りを感じていました。

「停電しないかな…停電したらその瞬間にこいつの背中をけりつけてやる」と思っていました。

結局停電はしなかったですが…。

翌週の月曜日の話

翌週の月曜日の話です。

体育館の前の通路で顧問とすれ違った時の事です。いつもは「こんにちは」とあいさつをするのですが、この時は意図的に無視をしました。

「誰がお前なんかと口を利くか」と思っていました

そのまますれ違おうとした時の事です。

顧問が

肩痛いのか?

と聞いてきました。

私は土曜日の事でかなり頭に来ていたので「はぁ?」と怒り半分に返事をしました。

彼は続けて「いやぁ、肩痛そうにしてたからよぉ…」といつものように低い声で続けました。

正直、

「当たり前だ!」

と言いたかったのですが、自分を押し殺しました。

必死に耐えていました

そして「別に…」と返事をしてその場を去りました。

前にも言いましたが、彼との間は信頼関係があったと思います。

彼は私の事をよく見ていてくれていましたし、何かあった時も「わかってくれるから大丈夫」と思っていました。

他にもあったのかもしれないですが、正直中学時代があまりに異常だったので覚えていません。

「いいプレーに一番いらないものは…」

忘れられない一言

この話を顧問としたのがいつなのかは覚えていません。彼とはよく話をしていましたので…。正直可愛がってもらっていたのかな?とも思います…。

ある日の事でした。

私がいつものように体育館前の通路を通りかかった時、顧問とすれ違いました。

彼は私を見て

お前、いいプレーに一番いらないものは何かわかるか?

中学時代、チームが負けると加害教諭は私がミスをしていなくても「栗栖のせいで負けた」と言いふらしました。

「お前が足を引っ張っている」「あいつがいなければもっと強いのに」などと言われ続けました。

私がいなかったとき、市内大会1回戦負けのチームと練習試合をやってボロ負けしたの忘れたんですかね?

守備が崩壊してどうにもならなかったそうです

中学時代の事を思い出した私は「ミスですか…」などと答えていました。

すると、彼は

体罰だよ

と言って笑いながら去っていきました。

かつて体罰をしていた人間でも変わることは出来る

私が入学する数年前まで彼は日常的に体罰をしていました。

そのため、かつての教え子たちにこの事を言っても信じないと思います。それどころか「お前嘘ついているだろう!」と私が非難される可能性もあります。

しかし、少なくとも、私がいた時は体罰も暴言もなかったです。

彼からはいろいろなことを学びました。

中学時代は「一人はみんなのためにみんなは一人のために」と言われ、チームのためにすべてを犠牲にしろと言われました。

ただ、中学時代のチームプレイというものは、ただ、顧問の言う事に犬のように絶対服従して言いなりになることでした。

彼に逆らえば「退部しろ」「練習をさせない」と言われ脅されていた逆らう事もできませんでした。

しかし、高校時代の顧問は「チームプレイとは、みんなで遊んだりすることではなく、どういうプレーをしたら他の選手がプレーしやすいか考えることだ」と言いました。

また、「もしチームが負けたら俺のせいだと思え」とも言われていました。

どこまで本気だったかわからないのですが、中学時代の指導とは雲泥の差でした。

ただ、本当に残念だったのが、中学時代にあまりにメンタル面をボロボロにされていたので、彼がどれだけ私に言っても、それを受け入れるだけの状態になっていなかったことです。

彼がその後どう言う指導者になったかはわかりません。全国大会に出ていないのは知っていますが…。

ただ、私達は彼の姿から「かつて子供に暴力をふるっていた人間でも、自分の力で暴力を振るわなくすることは出来る」という事を学ぶべきだと思います。

自分がわからなかった高校時代

人間不信

高校は1年の11月頃から行かなくなりましたが、結構楽しかったです。

ただ、中学時代に性被害に遭った事や、通っていた中学があまりに荒れており、日常生活もままならなかったと言うことから、正直かなりの人間不信になっていました。

卒業後も同級生に自宅に押し掛けられて暴れられたこともありますし…。

ただ、一番大きなのが性被害なのは事実です

彼らの行為は加害教諭が私に付きまとってやりたい放題していたのを見て、触発された部分もあると思います

加害教諭とその周辺の数人の教師たちは、諸悪の根源でした

当時は人間関係を築くのが大変でした。

一回仲良くなった同級生でも、少し何かあると「また嫌がらせをされるのでは」「付きまとわれるのでは」と思い怖くなりました。

そして、彼らと距離を置いてしまうのです。

別の同級生と話して「今度は大丈夫」と思っても、また何かあると「嫌がらせをされるのでは」などと思い距離を置きます。

彼らとしたら「なんであいつあんな風になるんだ?」と思ったと思います。

「自分がわからない」

正直私自身もどうしてそうなるのかがわかりませんでした。

小学生の時を思い出すと、確かに「個性的な性格」とは言われていましたが、そこまで何かを拒絶するという事はなかったと思います。

しかし、中学生になりいつの間にかそういう性格になってしまいました。

「どうしたらいいのかわからない」という状況でした。

そして、その原因も当時はわかりませんでした。

こういった時、スポーツなどでは「基本に戻る」やり方をする場合もあると思います。しかし、高校時代の私は、戻るべき自分の姿というものがすでに分からない状態でした。

中学時代3年間加害教諭から「俺がいないとお前は何もできない」「俺がいないといじめられる」などと洗脳され続けた結果、自分を失っていたのだと思います。

そして、その状況はかなり長い間続きました。

裁判に勝ったことで、加害教諭の洗脳から抜け出し「あいつらのやっていたことはすべてデタラメ」と言えるようにはなってきました。

それでもまだ手探りな状況が続いています。現在でも自分を取り戻している最中なのだと思います。

自分たちの言いなりにならなくなったら「嫌な奴」「その先生のいう事を聞くな」と言った中学時代の後輩と関係者

高校時代の顧問の話をした時、怒りが収まらなくなる時があります。

中学時代問題があったのは私に性暴力をふるった加害教諭だけではありませんでした。

私のいた中学は大学時代の同級生に言わせると「日本有数の荒れている中学」だそうです。

通常そこまで学校があれている場合、単に一人の教師が問題を起こしているとは考え難いです。

実際私のクラスには女子生徒の胸やお尻を日常的に触っている生徒もいました。

他のクラスの生徒にも女子生徒に対して「犯すぞ」などの言動を日常的にしていた生徒がいました。

別に私の学年だけが荒れていたわけではありません。他学年の生徒も同じようなものです。

私は中学時代加害教諭に夜遅くまで残されるのが嫌だったため、出来るだけ他人と争わないようにしていました。

そのため、ある一部の後輩にとっては「都合のいい上級生」と映ったのだと思います。

彼らは「私たち(僕たち)の言うこと聞いてくださいよ」「言う事を聞かないのならK先生を呼びますよ」と言って私を脅しました。

中学卒業後加害教諭が私の悪口を学校内で言いふらしていた時「先生に謝りなよ」「あの人嫌な人なんでしょ」と言いふらしていた生徒もいます。

何か問題になるようなことしていましたっけ?

そして、彼らは高校時代のバレー部の顧問が元全日本だと知ると「まずい」と思ったのか「その先生いい先生じゃないですよ」「言うこと聞いちゃだめですよ」などと口々に言い始めました。

挙句の果てに「なんで私たちの言うこと聞かないんですか」「昔は私たちの言う事を聞いていたじゃないですか」という始末です。

本当にタチが悪かったです

ちなみに、このような事を言ったのは男子バレー部の後輩ではありません(ごく一部いましたが)。

彼らの多くは私に対してそのような暴言を吐いたことはないです。

私に対して嫌がらせをして喜んでいたのは、男子バレー部以外の生徒達です。

関係ない人間になぜ付きまとわれるのか意味が分からないです

別に後輩と仲良くなかったわけではありません。

私たちが土曜日午後に早めに学校に来て練習をしていた時に、球拾いをしてくれていた男子バレー部の生徒以外の後輩がいるのですが、その生徒達には悪い感情は持っていません。

しかし、それ以外の生徒については別だと思います。

質の悪い生徒は「すべてノーサイド」「そんなことありましたっけ?」「証拠あるんですか?」などと言ってチャラにしようとしますが、正直そういう気持ちはないです。

荒れている中学の質の悪い生徒が考えそうなことです

読まれてご不快になられるかもしれないですが、私は高校を中退しており短い高校生活でしたが、たとえわずか数か月でも楽しい学校生活を送りました。

それを平然と侮辱しておきながら、平然と仲間面をしようとする輩とは到底仲良くできないです。

高校時代のバレー部の事を思い出すと懐かしい気持ちになりますが、その一方で不快な気持ちにならざるを得ないのは極めて残念なことです。

それほど異常な中学生活だったのだと思います。

最後に

私は高校時代のバレー部の顧問に長い間会っていません。

私がヤフー特集に出たことなどを彼が知っているかも知りません。

今回彼の私にしてくれた幾つかの素晴らしい出来事とともに、彼が私が高校に入学する数年前にしていた負の側面を書いたのは理由があります。

子供は性被害にだけ遭う訳ではありません。暴言や体罰などの被害に遭う事もあります。子供が育ちやすい社会にするためには性暴力だけでなく体罰などもなくす必要があります。

人間は弱い生き物です。悪い習慣を改めようとしてもなかなか改めることは出来ません。

私に中学時代キスをしたりファラチオをしたりさせたりした加害教諭とその仲間の教師達は反省することなくいまだに平然としています。

彼らのような人間は多いと思います。

高校時代の顧問は彼らとは正反対の人物でした。

見た目こそ怖かったのですが、彼は数年前までやっていたと言われる体罰を私達には全くしませんでした。

暴言もありませんでした。

私は彼から人間は自分の意思で変わることが出来ることを学びました。

彼がどうやって変わったのかはわかりません。すぐに変わったわけではないと思います。

しかし、それでも人間は変わることが出来ます。

現在学校やスポーツクラブなどで子供と関わる職業に就かれている方はそのことを忘れないでいて欲しいと思います。

高校時代の顧問のすべてが素晴らしいわけではないです。私は彼を人格者と思ってはいません。彼は仲良くできるタイプの人間でもないです。

ただ、それでも彼が私にしてくれたことには心から感謝しています。

彼のおかげで中学時代には「スポーツをするのなら殴られることもある」と思っていた私は「スポーツをするのに体罰は不要」と思えるようになりました。

彼の事は一生忘れないと思います。

お読みいただき有難うございました。

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