甲1号証(加害教諭に下着の返還を求めて2018年4月1日に出した手紙)

甲1号証として提出したのは中学時代私にわいせつ行為をした被告である加害教諭に宛てて出した手紙です。

一番大事なのは下着の返還を求めた最後の部分です。

ただ、それだけを書くと怪しまれるので、本文では加害教諭との思い出を懐かしんでいるような感じで書いています。

なおプライバシーに関わる部分については改変してあります。

手紙を出したのは2018年3月31日だったと思います

 K先生

 長いことご無沙汰いたしており ます。 年賀状も遅れずに、 非常に心苦しい限りです。

 この間、 Tと話をしました。 彼は今、 九州におります。 互いに、 中学校時代に学級代表を争ったことや、 部活動の話をして盛り上がりました。 彼からは、 今度九州に遊びにこいと誘われております。

 もう15年く らい本当は25年くらいです)になるのでしょうか?今思えば全てが懐かしい思い出です。

 先生にはよくご指導をされました。 放課後、 一人で残されることもありました。

  人には話せないようなこともありましたが、それも1つの思い出ではあります。夜遅くに帰宅し、母が心配していたことも今となってはいい思い出話です。

怪しまれるといけないのでここら辺はあっさりと書きました

 私の従兄弟に子供がおります。(省略)です。 男の子は現在中学生です。

 彼をみていると昔の自分を思い出します。 彼の青春はどのようなものなのでしょうか?甘酸っぱいものか、 ほろ苦いものか、 それとも無味乾燥なのでしょうか?一度しかない青春です、 いい思い出を作って欲しい、 正月に彼とあった時、 そのような話をしました。

実はこれは嘘の話なのですが、「中学生の男子児童」と言えば加害教諭が反応するだろうと思い書きました

 彼から私の中学時代について聞かれるのですが、 どう答えたらいいのかわかり ません。 よく叱られていた思い出しかないもので。 どう自分の思春期を回想すべきか戸惑っております。

 先生は現在でも活躍されているのでしょうか?

 現在でも情熱的な指導者であるのかと思いを馳せております。

 思えば、 合唱コンクール、 文化祭、 部活動。 全ての思い出にはK先生がおりました

 かなり特異な部分もあり ましたが、 全てがK先生との活動でした。

 私自身、中学時代についての記憶が曖昧で、彼らに話をする際どうすればいいかわかりません。 K先生の記憶の断片でもよろしいのですが、 もし覚えていることがあれば教えていただけないでしょうか?

 本来お電話差し上げたいのですが、 私自身、 現在体調がすぐれないのです。 また、 K先生とは中学時代色々ありどうしても電話ができない状態です。

 もしご不便でないのであれば一回メールをいただけないでしょうか?その上で、お会いできればと思います。

 なお、 お会いする場合は他の先生方や生徒は連れてこないでく ださい。

 私は今精神を病んでおります。学校の先生方は自己と意見が異なると他人を怒鳴りつける方が多いです。 特に、 A中学の先生はそうでした。 現在精神を病んでいる私にとってはそのような方々とお会いすることは非常に病気を悪化させる原因となるのです。

 今回お手紙差し上げたのも、 静養中であり、 実家にしばらくいるためでもあります。 現在なら少しは落ち着いて話ができると思ったためです。

 また、 私は、 担任の先生から見た中学時代の私について教えていただきたいのです。 そして、 その様々な様子を彼らに教えられればと思っております。

 ですので、できれば一対一でお会いしたいです。

 メール先は下に記しておきます。 ですのでよろしくお願いいたします。

 なお住所は記載しません。 お察しください。

 また、 もうしばらく実家におりますが、 実家にはご遠慮願います。 実家に来られることは余計なプレッシャーを与えることになり私の精神的な負担を増大させます。 加えて、 周囲には先生を快く思わない方もいるようです。 警察に通報される恐れがあるためお勧めしません。 また、 その場合の責任も取れません。

 現在は、街中で他人に話しかけても不審者扱いされる時代ということをご了承ください。

 もしお会いするなら、二人でお会いするのがベストと考えます。

 住所はネットで調べました。電話番号が一致していたためすぐにわかり幸運でした。

 よろしくお願いいたします。

XXXXXXX@gmail.com

追記

 お願いしたいのですが、

もしかしたら、 先生は私が修学旅行で忘れてしまった下着をいまでも保管していらっしゃるのではないでしょうか?

 忘れてしまい、 恐縮なのですが、

確かクリスとカタカナで名前が入っていたと思います。

 下着を忘れてしまっているのは非常に恥ずかしいことでもあり、 また、 後日談として他人に笑われるのではないかと不安で仕方ありません。 もしよろしければ、 お渡しいただけないでしょうか?

 お願いいたします。

 (以上が甲1号証です)

この手紙では、従姉妹の子供が現在中学生という設定にしました。

男子児童に対して日常的にわいせつ行為をしている加害教諭の事なので、この話をすれば反応する可能性が高いと思っていたからです。

彼らがこのページを見たら怒り狂う可能性があります……

しかし、事実の解明のためにはやむを得なかったです…。

もっとも、いくら重大問題の解決のためとは言え、従姉妹の子供の事を加害者に告げたことは申し訳なく思っています。

血縁関係にある人間として極めて軽率な行動であったと、現在、私は心の底から本当に反省しております。

(でも加害教諭は彼らがどこに住んでいるか知らないですけどね…)

また、この手紙では「わいせつ行為後に奪われた下着」とは書かずに「忘れ物」と記載しました。

この手紙を出したのは2018年3月末くらい(もしくは4月1日)ですが、その前の段階で同級生やその母親、松戸市教育委員会、千葉県教育委員会には下着を奪われた旨を伝えていました。

そのため、加害教諭が

「忘れ物だ」

と言っても、

「それは手紙に書いただけで実際は違う」

と反論できると考えていました。

この手紙を書く中で悩んだのが

 

また、 もうしばらく実家におりますが、 実家にはご遠慮願います。 実家に来られることは余計なプレッシャーを与えることになり私の精神的な負担を増大させます。 加えて、 周囲には先生を快く思わない方もいるようです。 警察に通報される恐れがあるためお勧めしません。 また、 その場合の責任も取れません。

 現在は、街中で他人に話しかけても不審者扱いされる時代ということをご了承ください。

の部分です。

最初に手紙を書いたときはこの部分はありませんでした。

しかし、手紙を出す前に私は「中学時代のように自宅に付きまとわれるのでは?」と不安になりました。

加害教諭は私が性暴力を嫌がり学校を休むと、自宅に何度も来ては外で

「栗栖さーん」「いないんですか」

と大騒ぎをしていました。

「今と昔は違う」

という方もいると思います。

しかし、また同じことが起きた時、誰かが助けてくれるとは限らないのです。

その恐怖は尋常ではありませんでした。

そのため、この部分を手紙に入れざるを得なかったのです。

この部分を手紙に入れた時は

「こんなことを数十年も会っていない人間に書かれたら

「ふざけるなよこいつ」

と思われて返事をしてもらえないかも」と不安になりました。

しかし、当時最優先に考えたのは自分の身の安全でした。

手紙を出した後は、外を歩く時はこぶしを握り締めながら歩いていました。

また、自分の身を守るために防犯グッズを購入したりもしています。

本当に精神的に大変な時期でした。

怖くて仕方がなかったです

裁判に勝てて本当に良かったと思います。

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