加害者が不起訴になるニュースを目にすると、多くの人は「なぜあんな悪質な人間が裁かれないのか?」と感じます。
この怒りや違和感は、正義を求める心の自然な反応です。
しかし、その背景には、「被害者の気持ちを尊重する」という重要な要素 があります。
被害者が「これ以上騒がれたくない」「そっとしておいてほしい」と願う場合、事件を大ごとにすることで、かえって被害者自身が苦しむこともあります。
「被害者の心情を守る」 という視点は不可欠ですが、同時に見逃せないのが、「悪質な加害者が不起訴になることで社会に与える影響」 という大きな課題です。
1. 不起訴が生む“社会への影響”という悩み
悪質な加害者が不起訴になると、社会には次のようなリスクが生まれます。
✅ 「加害者が再犯する可能性」
不起訴になった加害者が再び同様の犯罪を犯すケースもあります。特に性犯罪やDVの場合、加害者が罪の意識を持たずに行動を繰り返す危険性があります。
✅ 「被害者以外の人々への潜在的脅威」
加害者が裁かれないことで、次の被害者が生まれる可能性もあります。被害者1人の“沈黙”が、結果的に他の人々の安全を脅かすことにつながるのです。
✅ 「社会全体の秩序や信頼の揺らぎ」
悪質な加害者が不起訴になることで、「犯罪をしても逃げられる」という誤ったメッセージが社会に広がる可能性があります。これが、社会の秩序や法への信頼を損なう大きな要因となります。
2. 被害者の意思の尊重は当然──でも、それだけでは済まない難しさ
被害者の気持ちを尊重することは、当然のことです。
✅ 「これ以上注目されたくない」
✅ 「そっとしておいてほしい」
✅ 「再び心の傷を開きたくない」
これらの思いに寄り添い、「静かな日常を取り戻したい」という願いを尊重すること が第一です。
そういう意味では、仮に加害者と示談した被害者がいても、それを責めることは誰にも出来ません。
私自身も、中学時代に被害にあった時、「普通の学校生活を一日でもいいから送りたい」と、卒業するまでの間ずっと思っていました。
被害者の、被害に遭っていなかった穏やかな日常への強い想いというのは、世間の方々の想像する以上のものだと思います。
「被害者個人の意思」と「社会全体の安全」は、両方とも大切なことなのですが、時としてこの2つは両立が困難になることがあるのも事実です。
3. “加害者が不起訴=社会のリスク” という現実
被害者の意思を尊重して不起訴となった場合、加害者が社会に戻ることで新たなリスクが生まれる可能性があります。
- 性犯罪者やDV加害者の場合、再犯リスクが高い
- 暴力事件の加害者が反省せず、次の被害者を生む可能性
- 社会全体が「加害者は不起訴で済む」と感じてしまう危険
実際、私に危害を加えた加害者は、私が卒業した後も、他の教師たちの見ている前で、毎日のように男子生徒の股間を触っていたという話を私は、加害教諭の勤務していた中学の生徒から聞きました。
それ以外にも、加害教諭は、他校で問題を起こし、人権委員会に訴えられて転勤させられたいます(確認済み)。
中学時代、私が加害教諭から被害にあっていることを何度も学校の教師達に言っているのですが、もしそのときに迅速に対処していたら、このようなことは起きなかったはずです。
このように、悪質なケースでは、「加害者を裁かずに放置することで、社会にさらなる危険をもたらしてしまう」という悩み がついて回ります。
本当に悔しくてたまりません…。
4. 山本七平の『空気の研究』──社会の“空気”が生む沈黙
加害者と示談する被害者の方の中には様々な方がいらっしゃいます。
「相手が反省していたから」「裁判で証言するのが精神的に困難」という方もいらっしゃいます。
そして、それ以外にもいるのが「周囲の人間から面倒な人間と思われたくない」と思っている方です。
山本七平は『空気の研究』で、「日本社会は法律や条令ではなく「空気」によって支配されている」 と指摘しました。
被害者が「これ以上訴え続けると、面倒な人と思われるかもしれない」と感じる背景にも、この“空気”があります。
✅ 「声を上げすぎると、逆に周囲の同情が薄れてしまうかも」
✅ 「加害者にも家族がいるのだから、あまり騒がない方がいいのでは」
✅ 「SNSで誹謗中傷されるのではないか」という見えない恐怖
社会の至る所でこの「空気」は存在しています。
そして、ときに「空気」は、多数決の原理を空洞化し、人々の意志の代わりに空気の意志が決定をする場合があります。
私は世間の大勢の方は、それほど異様な誹謗中傷をする方だとは思っていません。
大半は、冷静で穏やかな方です。
しかし、得体のしれない「空気」の存在によって「あいつは面倒なやつ」「かかわらないほうがいい」等といったレッテル張りがされていくのだとしたら、やはり、「一人にしてほしい」と被害者が思うことを責められないと思います。
5. 正義感と被害者の気持ち──その間にある“葛藤”
悪質な加害者を不起訴にすることは、社会にとって大きなリスクです。
しかし、その判断の裏には、被害者の「静かな日常を取り戻したい」という切実な願いがあります。
正直、私も大人になってある程度の社会経験を積んだ後は自身に起きたことをある程度口にできるようにはなりましたた。
しかし、中学時代に被害に遭っていた当時は、すべてを明確にして、処罰を求めることは、今思い出してもかなり難しかったと思います。
「かかわらないでくれるのならそれでいい」と思ったこともあるくらいです。
それが本心かは別ですが…。
✅ 「加害者を裁くべきだ」という社会の正義感
✅ 「被害者の心の平穏を守るべきだ」という人道的配慮
この2つの価値観がぶつかり合うことで、「どちらを優先すべきか?」 というジレンマが社会に生まれます。
6. 不起訴という“最善の選択”が、時に“最悪の結果”を生むことも
被害者の気持ちを守るために不起訴という判断が下された場合、それが「次の被害者を生むリスク」 につながることもあります。
ここは本当に苦しいところです。
私自身、自分が中学を卒業した後、「もしかしたらあいつ(加害者)は、まともな人間になっているのではないか」と思ったこともあります。
しかし、それは塾講師をしていたときに、当時、加害教諭のいた学校に通っていた生徒の証言によって打ち砕かれるのですが…。
被害者を守ることと、社会全体の安全を守ること──普通に考えればそれほど難しいことではありません。
しかし、実際には、この2つを同時に成立させるのは、簡単ではありません。
被害者も、様々なところで悩んでいるのだと思います。
「不起訴にすることで生まれるリスク」 を理解し、その難しさを世間の人々が知ることが、社会の成熟につながるのではないでしょうか。
結論:不起訴の判断が抱える“社会のジレンマ”を知ることが大切
加害者が不起訴になると、多くの人が怒りや違和感を覚えます。
基本的に、その感情は正当なものだと思います。
私自身、中学時代に性被害にあっていた時、そして、その後も加害教諭が学校で教師として仕事をしているという話を聞くたびに「なんでこんなやつが平然と社会に存在していられるんだ」と思ってきました。
しかし、自分以外の被害者の方の立場を考えると、被害者の気持ちと社会の安全の間には、「簡単には割り切れない葛藤」 があることも理解しなければいけないのだと思います。
✅ 被害者を守ること
✅ 社会全体の安全を守ること
この2つのせめぎ合いの問題は本当に難しいと思います。
本当に悩ましい限りです…。
なんのために書いた記事かわからないですが…、そう思います。