報道の責任と情報の受け取り方:草津町事件が示すメディアの課題

草津町で起きた元町議による虚偽告白事件は、報道のあり方について多くの課題を浮き彫りにしました。

虚偽の情報がメディアやインターネットを通じて広まり、町長や町全体が大きなダメージを受けました。

ちなみに、12月18日には、刑事裁判で虚偽告訴罪などについて審理されることになっています。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20241210-OYT1T50180/

私は、この事件をよく冤罪事件として取り上げるのですが、それは、被害者を守ることの大切さと同じくらい、冤罪被害を生まないことも大切だからです。

このブログをお読みの方にも、この記事を通して、そのことについて考えていただければと思います。


目次

草津町事件の経緯

2019年、新井祥子元町議が「町長室で性行為を強要された」との告白を発表しました。

メディアはこの衝撃的な告白を大きく報じ、町や町長への批判が殺到しました。

「セカンドレイプの町草津」「草津町に行くとレイプされる」などという、理由のないデマが広がり、その結果、観光業への悪影響や学校の休校、爆破予告など深刻な影響が生じました。

その後の民事裁判でこの告白は虚偽と認定されましたが、真実が明らかになる前に情報が広がり、町全体が混乱しました。

この事件について当時の状況を私はよく覚えているですが、さすがに「セカンドレイプの町草津」はやりすぎだと思いました。

草津町は観光都市なので、「業務妨害罪にならなければいいが」というのが当時の率直な感想でした。

報道の問題点

真偽の確認が不十分な段階での報道

多くのメディアが「性行為があった」とする前提で記事を作成しました。

加害者とされたのが町長という幸甚だったこともあり、この事件では、報道により、町や町長に対する不当なバッシングが生まれました。

センセーショナルな内容の優先

読売新聞オンラインの記事では、平和博教授(メディア論)が「強い言葉や表現が注目され、事実確認が後回しになる」と指摘しています。

これは本当に当てはまると思います。

視聴率やクリック数を重視するあまり、「セカンドレイプの町草津」という異常な表現が拡散され、冷静な報道ができなくなってしまったのは事実だと思います。

この点については、報道する側が反省するとともに、私たちも新たな加害者とならないように自信を戒める必要があります。

逮捕段階での実名報道の是非

実は、今回私が強調したいのはこの部分です。

日本では、逮捕が「有罪」と誤解される傾向は根強く、釈放や無罪判決の報道はしばしば目立たなくなります。

今回は黒岩町長が公人であり、自信が「無罪」であることを粘り強く主張してきたことで事実が明らかになりました。

しかし、民間人の場合、たとえ事実が「虚偽」のものであるとされても、反論する機会が与えられることはほとんどありません。

その場合、実名報道が個人や地域に取り返しのつかない影響を及ぼす危険があります。


警察に捜査を迅速にしてもらうにはどうすべきか

「警察が動いてくれれば」という願い

私自身、中学時代に担任で部活の顧問から性被害に遭ったことがあります。

当時の私は「警察が動いてくれれば」と何度も思っていました。

また、中学卒業後も、加害教諭に対して「逮捕されろよ」と思っていました。

また、2017年10月に、私は加害教諭の退職金の返納を求め、松戸市教育委員会及び千葉県教育委員会に対し、加害教諭の一連の行為について調査を依頼したのですが、それと同時に、千葉県警松戸東警察署に加害教諭の問題行為について報告に行きました(私以外にも数件ありましたので…)。

この時も私は、警察の方に「職質してくださいよ」「任意同行すればいいじゃないですか」と言っていました。

警察に早く動いてほしいというのは、被害者だけでなく多くの日本国民の願いだと思います。

警察が動きやすくなるためにはどうすべきかということ

一方で、警察が早く動き逮捕したとき、報道機関や一部の人間は「警察の不祥事」と騒ぎ立てます。

私は、こういった風潮について少し疑問に感じています。

日本では、警察は有罪にできる見込みがない限り逮捕しないと言われてきました。

これが続く限り、逮捕は遅れ、被害者の精神的負担は多くなります。

被害者の負担を軽減し、警察を動きやすくするには、あまり強い嫌疑を要求すべきではないと思います。

被疑者が釈放された時点で、警察に対し「前代未聞の不祥事」と騒ぎ立てる私たちの感覚も修正すべき時に来ている気がします。


今後の報道はどうすべきかについて

客観性の確保

当然ですが、メディアには、情報の裏付けを徹底する責任があります。

一時のセンセーションではなく、冷静かつ公正な報道が求められます。

そういった意味で草津町長の事件から学ぶことは多いです。

逮捕段階での実名報道の見直し

加害者側から見た問題点

場合によっては、逮捕段階の実名報道を見直すべきではないかと私は考えています。

実名報道をすれば、それだけ注目が集まります。

ある意味、報道する側にとってはメリットがあるわけです。

しかし、逮捕段階の実名報道は、その後釈放された場合、もし何もなければ、逮捕された人間の名誉の回復という重大問題が立ちはだかることになります。

被害者側から見た問題点

一方で、被害者の立場からも私は問題があると思います。

私自身、中学時代担任で部活の顧問から性被害に遭ったことは何度も伝えてきました。

そして、その被害について、新聞や雑誌などで訴えてきたのですが、最初は匿名でした。

その理由は「怖かった」からです。

最初の記事が雑誌「保健室2018年6月号」に掲載されたとき、加害教諭は下着を所持したことを私に認めていました。

しかし、世間の方に何を言われるかは予想できません。

場合によっては「メールがあるだけではわからない」「捏造したのでは」と言われる可能性があります。

名前と顔を出すのは怖すぎて出来ませんでした。

新聞等のマスコミ報道でも被害者の実名は伏せられています。

そういった観点からは被害者について一定の保護はされていると思います。

ただ、場合によっては、周辺の人間から情報がバレる可能性もあります。

最近はインターネットの発達により、情報を検索することが容易です。

そう考えると、最初から加害者の氏名が報道されることは、被害者にとってもリスクがあるのではと感じてしまいます。

捜査機関の側から見た問題点

捜査機関の側から見た場合も、実名報道は問題があると感じます。

実名報道がされてしまうと、「こいつが犯人」「こいつは有罪」といったイメージができてしまいます。

そうなると、模試検察に送致することなく釈放した場合、「警察の不祥事」「行き過ぎた捜査」という批判を浴びることになります。

こういった批判が続くことは、警察にとって「ミスをしてはいけない」と必要以上の緊張感を持たせることになります。

その結果捜査に着手することが遅れ、被害者救済が遅れる可能性が出てきます。

これらのリスクは、あくまで私が考えたものでしかありません。

他の方には他の意見があると思います。

ただ、私は報道の自由と人権保護のバランスを見直すべき時期に来ていると思います。

特に、逮捕段階での実名報道は再考の余地があると感じています。


情報の受け取り方を見直す

また、以前の記事でも述べましたが、私たちの考え方も改める時期に来ていると思います。

日本では長い間、逮捕=有罪といったイメージがもたれてきました。

草津町長は逮捕されていませんが、報道がされたことで世間では「問題のある人物」というイメージが定着してしまいました。

はっきりと言いますが、逮捕=有罪というのは事実ではありません。

有罪か無罪かを判断するのは、裁判官であり、報道機関でも警察官でも検察官でもありません。

私たちはこの原則に立ち返るべきだと思います。

報道段階であまり騒ぎすぎるのは、私も含め慎むべきなのかと思っています。

とはいっても、私自身が被害に遭った体験からは、あまりに我慢できないこともあるのも事実です。

そのため、私は加害者が自分から「やりました」と言った場合や、裁判で明白な証拠が出た場合はブログに書いています。

それも考えたほうがいいのでしょうかね…。

結論

草津町事件は、報道機関の責任と私たちの情報との向き合い方について重要な教訓を与えています。

情報社会が進む中、メディアにはより慎重な姿勢が求められ、私たち受け手も情報に振り回されない賢明さを持つべきです。

情報を流す報道機関も、そして、その情報を受け取る私たちも、今一歩踏み込んで考えることが求められるのだと思います。

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