一方的な情報をうのみにして安易に騒ぎ立てることの危険性について:中学時代の体験より

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中学時代の過酷な体験

情報が溢れる現代社会において、一方的な情報をうのみにし、十分な確認をせずに断定的な発言をすることは、時に深刻な問題を引き起こします。私はかつて、それを身をもって体験しました。

私は中学時代担任で部活の顧問から性被害に遭いました。

この教師は極めて悪質な人間で、虚偽の情報を流して、私の評判を貶めました。

加害教諭は、自分がわいせつ行為をしたくなると、学活や授業中であるにもかかわらず、「栗栖は学校で一番問題のある生徒」「あんなわがままな奴はいない」など、私の悪口を言いふらし、他の生徒の前で私を悪者に仕立て上げました。

それだけではなく、加害教諭は信じがたいことに、他のクラスの生徒たちにまで私の悪口を言いふらしたのです。

私は中学時代、自分から問題を起こしたことは一度もありません。

しかし、教師の言葉を信じた生徒たちは私に対して「調子に乗るなよ」などと脅しの言葉を投げかけてきました。

クラス内ではさらにひどかったです。

私のクラスには、学校内で平気でエロ本を読む生徒や、他の生徒に対して、「ぶっ殺す」「死にてえのか」などと日常的に脅す生徒や、女子生徒の胸やおしりを日常的に触る生徒がいたのですが、加害教諭は彼らに対しては「あんな純粋な奴はいない」「あいつはいいやつ」と言い、問題行動を黙認し続けました。

その結果、何人かの生徒たちは加害教諭が何も言わないことをいいことに、自分たちが問題を起こした時でも「栗栖謝れよ」などと言って、私に謝罪を要求したりしていました。

怒りを感じた私が抵抗しようとすると、「○○先生(加害教諭)を呼んでこようか」などと言って脅す始末です。

正直手に負えませんでした。

これだけならまだわかるのですが、彼らは自分たちに都合の悪いことがあると「栗栖に頼むしかないよ」「栗栖になんとかしてもらえよ」などと言い、私の力を借りようとするのです。

正直、身勝手もいい所です。

私は中学時代、このようなことがあったので、クラスの中では、仲の良いバレー部のメンバーといつも一緒にいました。

裁判に勝っても戻らない人生

中学時代の件ですが、これは2022年の訴訟で、加害教諭の中学時代のわいせつ行為が認められ、私に問題がなかったことが明らかになりました。

しかし、訴訟に勝ったからと言って、私の中学時代が戻ってくるわけではありません。

当時加害教諭と一緒になって私を脅していた生徒たちはいまだに平然としています。

事実が明らかになっても、どうにもならないこともあるのです。

私は現在生きていますが、もし中学時代に自殺していたら、誰が責任を取るのでしょうか?

取りつかないことにならなかったのは、幸運としか言いようがありません。

私は中学時代の経験から、「一方的な情報をうのみにすることの恐ろしさ」を強く実感しました。

多数派は常に正しいのか?

「長いものに巻かれろ」と言う慣用句があります。

意味は言う必要がないでしょう。

多かれ少なかれ、人間と言うものは長いものに巻かれる性質があります。

この記事をお読みの方の中にも、「周囲が言っているから」と考え、その行動についていったことがある方がいらっしゃるのではないでしょうか?

私はこのことを責める気はありません。

食事をするときでも、お客さんが大勢入っているお店と、ほとんどいないお店では、お客さんの大勢入っている店の方に行きがちです。

ある意味これは人間の本能でもあります。

ただ、ここで考えておかなければいけないのが「多数派が常に正しいわけではない」という事です。

民主主義の社会においては、多数決の原則が採用されます。

そのため、多数派の意見が通りやすいのは仕方がないことです。

しかし、これは多数派=正しい人の集まりと言う意味ではありません。

このことは歴史を紐解いてみても理解できます。

ヒットラーを知っている人は多いと思います。

戦前、ヒットラーは、ナチス党の党首になり、ドイツ国内の選挙で多数派になったことで、ドイツの首相になり、ホロコーストと言う極めて異常極まりない残忍な行為を行いました。

このことは、多数派=正しいとわけではないという事を意味しています。

ただ、私は自分たちの意見が通らないからと言って無駄に他人の時間を浪費させる少数派も好きではありません。

暴走する多数派も、他人の迷惑を顧みない少数派も、大っ嫌いです!

ネットで多くのコメントが集まり、話題が盛り上がっていると、つい深く考えずにその流れに乗ってしまうことがあります。

でも、その勢いのままに発言したり、拡散したりしていると、気づかないうちに誰かを傷つけたり、不確かな情報を広めてしまったりすることがあります。

最初はちょっとしたコメントのつもりでも、大きな騒ぎになると、取り返しのつかないことになってしまうこともあります。

だからこそ、一度立ち止まって「これって本当に正しいのかな?」「誰かを傷つけることにならないかな?」と考えてみることが大切ではないでしょうか。

そもそも、ネットの意見が本当に世間の多数かなのかも不確かです。

世間には沈黙する大多数の良心的な方々がいます。

その方々はネット上にコメントを不用意に書き込むようなことはしません。

周囲が異様に盛り上がっているときは、その流れに流されず、「この騒ぎに乗ることが本当にいいことなのだろうか?」と考えてみることが大切ではないでしょうか?

まとめ

ネット上で何かの意見を目にしたとき、それが本当に正しいのか、違う視点からも考えてみることが大切です。ネットでは、一部の声が大きく取り上げられがちですが、それだけを見て判断するのは危ういこともあります。

今の時代、SNSを通じて情報が一瞬で広まり、人々は短い文章や断片的な情報だけで結論を出してしまいがちです。

中には、噂で聞いただけなのに、深く考えずに誰かを批判してしまう人もいます。

でも、その裏には誤解や偏見があるかもしれません。

何かに疑問を持ち、問題を提起することは大切ですが、一方的に他人を責めることとは全く別のものです。

中学時代の私のように、一方的な情報によって苦しむ人がこれ以上増えないように、私たちは冷静に、できるだけ多くの視点から物事を見ることを心がけるべきではないでしょうか。

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