あまりに過酷だった日生学園の環境
現在ビジネスで興味深い記事を見つけました。
https://gendai.media/articles/-/142821
長谷川豊氏は、日生学園出身という事ですが、私もこの学校の事は動画で知っていました。
正直、あまり関わりたくないなというのが、動画を見たときの感想です…。
実際に、長谷川氏が高校2年の4月の時に、1学年上の上級生がいじめで命を落としています。
いじめはどこの学校でもあると思うのですが、さすがに命を落とすようなひどいものについては、ありえないとしか言いようがないです。
おそらく、当時の日生学園は、そういったいじめなどが起きやすい環境だったのだと思います。
私自身の体験と体罰の影響
過酷だった中学時代
実は、この記事の長谷川豊氏と私は同い年です。
しかし、中学時代が天国で、高校時代が地獄だった長谷川氏と異なり、私は中学時代が地獄で、高校時代はホワイトすぎるくらい天国でした。
記事にもなっていますが、私は中学時代担任で部活の顧問から性被害に遭いました。
さらに、加害教諭の行為を拒むと一日30発以上殴られたこともあります。
自宅への付きまといや、気に入らないことがあれば授業中他の生徒の前で罵倒されるなど、中学1年の1学期以外は、自由というものは存在しませんでした。
当時の学校は、生徒が体罰を容認していたという事実は全く存在しないのですが、暴力的な指導をする教師は、学校内に何人かいました。
そして、校長や教頭もそのような指導を容認していました。
高校時代の貴重な体験
中学時代は、「(部活動で)結果を出すには体罰も仕方ない」と考えていました。
体罰を容認したわけではないですが、スポーツをするには部活動に所属しないといけません。
顧問に逆らえば退部させられるという当時の環境では、どれだけ嫌なことがあっても、そのスポーツをするには我慢が必要と多くの生徒が思ったのはやむを得ないと思います。
それが変わったのが高校時代です。
高校時代のバレー部の顧問は、数年前までは体罰を行っていたと言うのですが、私が高校に入学したときは、体罰や暴言は全くありませんでした。
このことはいつも記事に書いているのですが、彼からは「好きなことをするときくらい楽しんでやれ」「明るい性格のやつが暗くなったら面白くない」と言われていました。
彼はバレーボールで元日本代表候補になるような人物でした。
当然ですが、ど素人だった中学時代のバレー部の顧問と違い、バレーボールの事はよく知っています。
彼が指導したおかげで、中学時代「文化部より体力がない運動部員」だった私は、「文化部より体力が上回る運動部員」になりました。
残念ながら高校は中退したのですが、それでも高校時代の思い出は今でも素晴らしい思い出として残っています。
私が高校時代に学んだことは、「スポーツをするのに暴力や暴言は不要」という事です。
そして、この私の価値観は、体罰をやめた高校時代のバレー部の顧問によって与えられました。
身勝手な価値観の押し付けに意味はない
子供は大人の影響を受けて育ちます。
大人が子供に体罰を行うと、体罰を受けた子供は大人になった時に、「体罰をするのは必要なこと」と考えるようになります。
体罰をしていた人間の中には「自分の私道で育った人間もいる」と豪語します。
しかし、それは一部の成功体験を見て、他の失敗体験を隠すものでしかありません。
その指導で一部の人間が成功したからと言って、すべての人間に、その指導が妥当すると考えるのは身勝手そのものではないでしょうか?
組織が変わるとき、トップの姿勢がカギとなる
以前、会社で労務をされていたという方から聞いた言葉があります。
それは「組織を変えるには、トップの意識を変えるのが一番」という事です。
これは学校や教育現場にも当てはまります。組織全体の文化や方針を変えるには、指導者のビジョンと行動が何より重要です。
日生学園が変わったのは、長谷川氏が自分の背中を見せて、後輩たちに成長を促したことも大きいと思います。
ただ、そのきっかけとなったのは、「学校を変えたい」という教師たちの思いだったと思います。
長谷川氏だけでも、教師たちだけでも、日生学園の変化は生まれなかったのではないでしょうか?
教育現場に求められる忍耐力
現代において、暴力的な指導や体罰が許される余地はありません。
むしろ必要なのは、生徒一人ひとりに向き合い、彼らの潜在能力を引き出すリーダーシップです。
長谷川氏が「背中で語る」という指導法で後輩を育てたように、指導者自身が模範を示すことで、生徒は自発的に成長します。
ただ、この指導は忍耐が必要です。
私の中学時代のように、教師が生徒を脅し、従わない生徒に嫌がらせをすれば、生徒は言うことを聞くようになります。
しかし、そうやって育った生徒は、高校、大学と上の段階に進めば進むほど、自分で物事が判断できない人間になります。
そして、誰か肩書をある人間を見つけて「あいつと仲良くさせろよ」などとチンピラのような態度をとるようになります。
自信を持つには自分自身が成長しなければいけません。
どうやったら子供が成長していけるのか、大人が真剣に考える必要があります。
変わる力」は誰にでもある
人間は、状況がどうであれ、変わる力があると思います。
ただ、変化を生み出すには忍耐が必要になります。
どれだけ忍耐ができるかという事が、人間の成長には必要なのではないでしょうか?
短絡的な成功に目を奪われることなく、長期的な視野を持った指導こそが、現代の教育に求められている気がしてなりません。
6. トップが変われば、未来も変わる
学校や組織の変革は、トップの意識改革から始まります。どんな時代でも、子供たちに健全な環境を提供するためには、指導者たちが「暴力ではなく、模範で導く」という意識を持つべきです。これは学校だけでなく、社会全体においても同じです。