判決文

説明

再度読んでみると、どうしてこういう判決を下したのかということについて、裁判官が非常にわかり易い文章でどうしてこのような判決になったのかを説明してくれていることが分かります。

まるで目の前で解説をしてくれているようです。

わいせつ行為については、被告である加害教諭が全く争わず、挙げ句に「下着をもらった」などと言っているのですから認めるのが当然です。

また、被告である加害教諭は、答弁書は出したものの、出廷をしないのですから裁判官としてはその態度に疑念を持って当然です。

そのため、「被告の主張を採用することは困難である」としています。

私の主張、被告である加害教諭の主張を比較し、非常に公平で公正な判決文を書いてくださったのだと思います。

ちなみに、被告である加害教諭は出廷をしていませんが答弁書を出しているので、裁判に一度も出ていないというのは間違いだということは述べておきます。

私の事件は大した事件ではないかもしれません。

ただ、この判決はわずか5ページしかありませんが、私の人生にとって非常に重要なものになりました。

訴状

第1 請求の趣旨

1 被告は,原告に対し、別紙物件目録記載の下着を引き渡せ。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

  との判決並びに仮執行宣言を求める。

第2 請求の原因

(請求原因事実) 

 1  原告は、平成元年11月当時、白色の男性用ブリーフ(以下下着)を1枚所持し ていた。

 2  被告は、現在1の下着を所持している。

 3  よって、被告は、原告に対し、1の下着を引き渡せ。

第3 関連事実

1 被告と原告との関係

 被告は、原告が松戸市立A中学に在学した、昭和63年4月から、平成3年3月当時までの間、3年間担任で、男子バレー部の顧問であった。

2 被告のメール

 ⑴ 原告は、平成30年3月31日に、被告に対し、下着を返還するよう手紙で求めた(甲1号証)。これに対し、被告は平成10年当時に下着を所持していたことを認めた(甲2号証)。

 ⑵ 原告が被告にあてた手紙には「忘れ物の下着」と書いてある。もっともかかる記載は「奪われた下着」と書くと警戒されるからである。

事実、中学時代の同級生のN氏との会話において、原告は下着が奪われた旨述べている(甲3号証)。

 また、原告が松戸市教育委員会に平成29年11月に送付した書面(甲4号証)や平成30年2月22日に朝日新聞に送ったメール(甲5号証)にも下着を奪われたとの記載がある。かかることから、下着は忘れ物ではなく、わいせつ行為後に奪われたものである。

  よって、下着は被告が原告から無理やり奪ったものであると言える。

3 当時の学年主任のW氏の証言 

 平成元年11月当時、学年主任だったW氏は、令和3年2月2日、X氏との電話において、被告が、他校にいた時、「原告の両親が人権委員会に訴えてその結果被告は転勤となった。その時教師の間で原告の性被害が噂になり間接的に被害を認知した」と述べた(甲6号証)。

 もっとも、原告の母親は、人権委員会や教育委員会に言ったことは存在しないと述べている(甲7号証)。

また、この事実は被告に確認すればわかることであるが、原告の両親がしたことではない。

 一方でW氏と被告がいまだ旅行に行く関係である(甲8号証)ことからすると、かかる供述が虚偽である可能性は極めて低い。

 かかることからするとW氏はそれまでの間に被告が原告に対しわいせつ行為を行ったことを認知していたと言える。

 この件について、X氏は、Wがどうやって認知したか経緯は不明だが、ある時期には認知していたと述べている(甲9号証、甲10号証)。

4 下着を取得するに至った経緯

 本件下着は、平成元年11月頃、被告がA中学体育館内において、原告にわいせつ行為をした後、A中学昇降口付近で、自己の犯行の発覚を防ぎ、また、事後的に原告を脅迫する目的、自己の性欲を満たすために下着を用いる目的で、原告の意思に反し一方的に奪ったものである。

 被告はその際、黒の油性マジックペンで、カタカナでクリスと書いた。

5 被告の原告に対する生徒指導の態様

⑴ 被告は、原告がA中学に通っていた当時、原告より問題を抱えている生徒がいるにもかかわらず、完全下校時刻過ぎて何時間も学内に残し指導をした(甲11号証、甲12号 証,甲13号証)。

また、被告の指導は、長時間に及び、必ず密室状態で行われた。その際、副担任が同席したことはない。

このような指導は、教師間の連携協力を密にするなど指導体制の工夫改善に努める事を定める当時の学習指導要領に反する。

 また、かかる長期間の指導は監禁罪の可能性すらあるものである。

加えて、かかる行為は原告の学習権を侵害する行為であり、教師として通常は行わない行為である。

⑵ さらに、学校教育法施行規則26条1項において、教員が懲戒を与える際には、「児童等の心身の発達に応じる等教育上必要な配慮をしなければならない」とあるのに、被告は原告が疲弊して、精神的に衰弱しているのに指導を何時間も続けた。

⑶ また、原告を車で何度も学外に連れ出し指導をしていた(甲14号証)

通常管理職がこのような行為を許可しないことからすると、かかる行為は法令順守(遵守の間違い)義務及び上司の命令に従う義務(地公法32条)に反するだけでなく、信用失墜行為(33条)に該当し、職務専念義務(35条)に反するものである。

  また、被告はかかる行為の理由を管理職に説明していない。  

 ⑷ 加えて、当時の新聞記事からすると、原告が中学1年の11月から、2月までの間に、児童を対象にした通り魔事件が起きている。

そして、この際集団で登下校をするなどの措置を学校はとっている(甲15号証)。

被告は原告を当時から夜遅くまで残したが、かかる行為は被告の生命身体への配慮を著しく欠くものであった。

 ⑸ 原告の中学時代の通信簿の記載からは、原告が長時間の指導を必要とした様子は特にうかがわれない(甲16号証)。

⑹ また、被告は原告はF氏の塾に通っていた際に、他校の生徒と交流があると自己の犯行が発覚することを理由に、原告にF氏の塾に通わないように強制し、その結果F氏の塾を原告はやめることになった。

これは原告の学習権に対する明確な侵害行為であり、教師としてはありえない行為である。 

⑺ また、原告のクラスのある男子生徒は女子生徒の胸やおしりを日常的に触っており問題となっていた。さらに、日常生活においても暴行や授業中にかかわらず、うろうろするなどの問題があった。

 被告の学級通信によると、原告のクラスには、小学生の漢字を間違えたり、基礎的な英語能力が不足するなど学力が不足している生徒が10人近くいた。加えて、深夜徘徊など素行に問題がある生徒も数人抱えていた。

 かかる生徒たちについては人間的成長に配慮した教育指導上の生活指導が必要なことは明らかである。

 加えて、女子生徒の身体の安全に現実的な危害が及んでいる以上は、管理職を含めた対応が必要であるのにしていない。

この件について、今年3月に市教委のM氏(当時)と会話した時、M氏は「教育委員会も含めた対応が必要である」と述べている。

 ⑻ 以上のことからすると、被告は明らかに問題のある生徒の指導を疎かにする一方で原告に対しては意図的な法令違反を行い、また生命身体の安全を脅かすような行為をし続けた。そして、W氏の供述からすると、被告は当初からわいせつ行為をする目的で、かかる行為を原告にしていたと言え、下着もその経緯で取得したと言える。

6 下着の返還が容易であった事実

  前述のように、被告は、原告の担任であり部活の顧問であった。下着を奪ったのが平成 元年11月当時であることや、被告と原告が何度も二人きりになる機会があったことからすると、被告が原告に対し下着を返還することは極めて容易であった。

  また、被告と原告の母親はクラスの活動や部活動を通じ顔見知りであり、下着を渡すことを躊躇するような関係ではない。

 そして、被告が原告に性犯罪を犯していたことからすると、かかる下着を自己の犯罪隠ぺい目的で所持し続けている可能性は高い。

 このような場合、被告が現在も下着を所持している可能性は極めて高いと言える。

7 原告が異性愛者であることと被告の性癖 

 原告は、中学当時交際していた女性の恋人がいた。また、その後同性と性交渉があった事実は一度も存在しない。

かかることからすると、わいせつ行為が原告の同意がある中で行われたという事はありえない。

8  被告が下着を現在も所持していると強く疑われる事実

  被告は、メールにおいて引っ越しの際に下着を捨てたと述べている。

もっとも、被告は 原告が卒業後、平成10年当時まで約9年もの間下着を返還することなく所持していた。被告と原告が身長も体重も異なり、下着のサイズも異なること。

下着は摩耗することなどからすると、通常他人の下着を理由なく長期間保持する理由は考え難く、その間まで所持しておくこと自体が異常である。

しかし、被告は いかなる理由で所持を続けたかについて説明していない。

また、被告が引っ越す前に住んでいた住所は、上本郷であるが、現在の住所までは車で10分以内の場所である。また、部屋の広さも現在の住居のほうが広いことが推測される。

通常引っ越しの際に捨てるのが、持ち運ぶのが困難な家具類である(ここは少し違うかな?と思います)。

原告のブリーフは、素材も固くないため折りたためばポケットに入るサイズである。

被告が長期間下着を返還せず保持していたことも併せ考えると、引っ越しは、下着を捨てる合理的理由にはならない。

また、自己のわいせつ行為を隠蔽するため奪ったことを考えると、車の中などに見つかりにくいように隠すことは極めて容易でありその可能性は高い。

9 訴訟の提起に至った理由

 ⑴ 原告は、平成29年11月頃、松戸市教育委員会に自己の性被害を理由とした、被告の退職金の返納を求め、調査を依頼した。しかし、被告は、市教委からの調査に全く応じず平成29年12月末に調査は打ち切りとなった。

 その後平成30年4月4日に、被告が原告に下着を所持していたことを認めたため、同年5月に市教委にかかる事実を原告は伝えた。その後、市教委は原告に無断で、被告に書留を送付し、単独で調査を行った。

しかし、被告はかかる調査にも一切応じなかった。

 ⑵ その後、市教委が調査をしないため、原告は、被告に対し、数度メールで連絡し当時のわいせつ行為に対する説明を求めた。

もっとも、被告は糖尿病で具合が悪い、そのうち返事するなどと言い、説明を拒否した。そして、最後にはメールをブロックした。

 その間、被告は糖尿病で誰とも会えないなどとメールでは言っていたが、その裏で市教委の要請を無視し、当時松戸市内の中学で勤務していたSと、退職していたWらと連絡を取り、私的理由で遊びに行くなどの行為を繰り返していた。

 ⑶ 昨年2月2日にXがWに電話したことで、被告が他校で問題を起こしたこと、Wがその時期までに、原告の性被害を何らかの形で認知していたことが判明した。

   もっとも、Xとはその後連絡が取れない状態であり、内容を再度確認できないことが続いた。

 ⑷ 今年3月9日Xからメールで、Wが、原告の性被害について認知があったことは事実であるとの証言が取れた。

 ⑸ かかる一連の経緯から、被告が所持している原告の下着が、わいせつ行為の際に奪ったものであることを強く推認させるとの証明が可能となった。

そして、かかるわいせつ行為の発覚を防ぐため取得した下着を、引っ越したからと言って他の場所に保管するなどの手段をとらず、捨てる可能性は極めて低い。

  このことから、被告が現在も下着を所持している可能性が高いことが推認される。そのため、今回訴訟を提起するに至った次第である。

10 下着の返還を求める必要性

 ⑴ 被告が現在所持しているものが原告の下着であり、また、その下着には被告の筆跡でクリスと書かれていることからすると、何も知らない人間に、被告が下着を見せ、原告が同性愛者であるかのような心証を容易に作り出すことができる。

 現在パートナーシップ制度を定める自治体が多い中であっても、同性愛行為の被害に遭った場合、たとえそれが異性愛者の被害者の帰責性のない被害であっても、いわれのない批判を受けることが存在する。このことは池袋の事故の被害者が誹謗中傷を受けたことからも明らかである。

 原告は、本来子供のころから、被告らに脅迫されることなく、また、かかる誹謗中傷の恐れを受けることなく生活する利益を有していた。

かかる不安が存在すること自体が、原告の現在および未来に対する重大な危険であるといえる。

 そのため、原告はかかる被害から自分を守るため、下着の返還を受ける強い利益がある。

 ⑵ (ここはプライベートな部分なので省略します)

 かかる場合、被告が原告の下着を周囲に見せびらかすこと等による、重大な名誉の侵害が原告並びにその周囲に発生する可能性が極めて高いと言える。

 また、被告は、原告が今年3月に特定記録郵便で下着の返還を求めたのに対し一切の説明を拒否し誠実な対応を拒んでいる(甲17号証)。

 このことからも、原告は被告から何らかの形で名誉の侵害を受ける可能性が高い。

そのため、下着の返還を受け将来の自己並びに周囲の人間の名誉を守る強い利益を有していると言える。 

 ⑶ また、被告が市教委や原告からの説明を無視した一方親しい知人らと遊び歩き、平然としていたことからすると、被告が過去の過ちを悔いたと理解することはできない。

かかる場合、報復目的で下着を使用して、原告の名誉を著しく棄損する危険が存在すると言える。

 ⑷ さらに、現在では情報技術の発達により、誰でも情報を伝達できることが容易になった一方、不特定多数人に一方的で誤った情報が流布された場合、その被害を防ぐことが困難となっている(甲18号証)。

 また、原告が大学生の時は予想もしなかったスマホやAIなどが現在は発達していることからわかるように、未来においても、情報技術が発達し予期しえない形で名誉が侵害される危険が存在する。

 かかる危険をすべて防ぐことはできないが、現時点において、かかる危険の発生を防ぐ必要がある。何より、原告は誰にも誹謗中傷受けることなく、人生を全うする権利を有している。

 このように、原告には下着の返還を求める強い必要性がある。

11 他の解決方法について

 民事調停については、被告が真摯な態度で応じると約束した場合は、考慮する。

その際には、奪った下着を返還することが必要となる。

仮に下着を返還することができない特殊事情があるのだとすれば、そこに至った経緯等を詳細に説明し、原告が納得することが必要となる。

 また、被告が下着を所持するに至った経緯から、原告の名誉が将来にわたり侵害されることを防ぐため、被告が下着を用いたり、また、原告に対する不当な誹謗中傷による名誉の侵害をしないことが条件となる。

 和解についても、下着の返還が必要となる。

また、仮に下着の返還が認められない特殊事情がある場合は、そこに至った経緯等を詳細に説明し、原告が納得することが必要となる。

 また、民事調停と同様に、原告の名誉権が将来にわたり侵害されないように確約することが条件となる

原告が被告に対し下着の返還を求めた手紙

K先生

 長いことご無沙汰いたしており ます。 年賀状も遅れずに、 非常に心苦しい限りです。

 この間、 Tと話をしました。 彼は今、 九州におります。 互いに、 中学校時代に学級代表を争ったことや、 部活動の話をして盛り上がりました。 彼からは、 今度九州に遊びにこいと誘われております。

 もう15年く らい(本当は25年くらいです)になるのでしょうか?今思えば全てが懐かしい思い出です。

 先生にはよくご指導をされました。 放課後、 一人で残されることもありました。

  人には話せないようなこともありましたが、それも1つの思い出ではあります。夜遅くに帰宅し、母が心配していたことも今となってはいい思い出話です。

 私の従兄弟に子供がおります。(省略)です。 男の子は現在中学生です。

 彼をみていると昔の自分を思い出します。 彼の青春はどのようなものなのでしょうか?甘酸っぱいものか、 ほろ苦いものか、 それとも無味乾燥なのでしょうか?一度しかない青春です、 いい思い出を作って欲しい、 正月に彼とあった時、 そのような話をしました。

 彼から私の中学時代について聞かれるのですが、 どう答えたらいいのかわかり ません。 よく叱られていた思い出しかないもので。 どう自分の思春期を回想すべきか戸惑っております。

 先生は現在でも活躍されているのでしょうか?

 現在でも情熱的な指導者であるのかと思いを馳せております。

 思えば、 合唱コンクール、 文化祭、 部活動。 全ての思い出にはK先生がおりました

 かなり特異な部分もあり ましたが、 全てがK先生との活動でした。

 私自身、中学時代についての記憶が曖昧で、彼らに話をする際どうすればいいかわかりません。 K先生の記憶の断片でもよろしいのですが、 もし覚えていることがあれば教えていただけないでしょうか?

 本来お電話差し上げたいのですが、 私自身、 現在体調がすぐれないのです。 また、 K先生とは中学時代色々ありどうしても電話ができない状態です。

 もしご不便でないのであれば一回メールをいただけないでしょうか?その上で、お会いできればと思います。

 なお、 お会いする場合は他の先生方や生徒は連れてこないでく ださい。

 私は今精神を病んでおります。学校の先生方は自己と意見が異なると他人を怒鳴りつける方が多いです。 特に、 A中学の先生はそうでした。 現在精神を病んでいる私にとってはそのような方々とお会いすることは非常に病気を悪化させる原因となるのです。

 今回お手紙差し上げたのも、 静養中であり、 実家にしばらくいるためでもあります。 現在なら少しは落ち着いて話ができると思ったためです。

 また、 私は、 担任の先生から見た中学時代の私について教えていただきたいのです。 そして、 その様々な様子を彼らに教えられればと思っております。

 ですので、できれば一対一でお会いしたいです。

 メール先は下に記しておきます。 ですのでよろしくお願いいたします。

 なお住所は記載しません。 お察しください。

 また、 もうしばらく実家におりますが、 実家にはご遠慮願います。 実家に来られることは余計なプレッシャーを与えることになり私の精神的な負担を増大させます。 加えて、 周囲には先生を快く思わない方もいるようです。 警察に通報される恐れがあるためお勧めしません。 また、 その場合の責任も取れません。

 現在は、街中で他人に話しかけても不審者扱いされる時代ということをご了承ください。

 もしお会いするなら、二人でお会いするのがベストと考えます。

 住所はネットで調べました。電話番号が一致していたためすぐにわかり幸運でした。

 よろしくお願いいたします。

XXXXXXX@gmail.com

追記

 お願いしたいのですが、

もしかしたら、 先生は私が修学旅行で忘れてしまった下着をいまでも保管していらっしゃるのではないでしょうか?

 忘れてしまい、 恐縮なのですが、

確かクリスとカタカナで名前が入っていたと思います。

 下着を忘れてしまっているのは非常に恥ずかしいことでもあり、 また、 後日談として他人に笑われるのではないかと不安で仕方ありません。 もしよろしければ、 お渡しいただけないでしょうか?

 お願いいたします。

説明

追記に書いてある「忘れ物」が被害にあった時に奪われた下着です。

警戒されないため「忘れ物」と書きました。

いきなり手紙を出すので警戒されないように、文面は丁寧にそして過去を懐かしむように書いています。

被告が下着の所持を認めたメール

説明

黄色のマーカー部分を見てください。被告である加害教諭が、下着を20年前に捨てたと述べています。

要するに彼は私の下着をある時期までは所持していたことを認めたわけです。

このメールは非常に強い証拠になりました。

被告からの答弁書

説明

メールでも述べましたが、被告である加害教諭は、ある時期まで下着を所持していたことを明確に認めています。

また、関連事実には驚きました。

通常なら、性加害の事実に対し、「やっていない」というものですが、この人物はそれを争わず、下着について「奪ったのではなくもらったんだ」と争ってきました。

これには呆れました。

原告が提出した準備書面

被告である加害教諭から裁判後に届いた手紙

説明

私は、裁判に勝訴したあと、訴訟費用の支払いを被告である加害教諭に求めました。

しばらくして、現金書留が届いたのですが、その中には一通の手紙も同封されていました。

それがこの手紙です。

実はこの現金書留、最初から私のもとに届いたわけではありません。

加害教諭はなぜか、私に直接送るのではなく、裁判所宛に送付するという不可解な行動を取ったのです。

当然、裁判所からは「宛先が違う」と指摘され、彼はわざわざ裁判所まで現金書留を取りに行き、その後ようやく私のもとに送付してきました。

なんともご苦労なことです。

思えば、裁判の過程でも加害教諭は一貫して不誠実な態度を取り続けていました。

訴状に対しては答弁書を提出し、私の下着を所持していたことやわいせつ行為を行ったことは認めたものの、それ以降は「体調が悪い」と主張し、出廷を拒み続けました。

しかし、具合が悪いと言いながら、裁判所に自ら現金書留を取りに行く元気はある──。

この行動一つをとっても、彼の主張に信憑性がないことは明らかです。

私は、彼が出廷を避けたのは、私が他校での問題行動を把握しており、裁判でそれを指摘されることを恐れたからだと考えています。

もし法廷でその点を追及されれば、私だけでなく、他の被害の存在までも明らかになる可能性があったからです。

嘘というものは、こうして小さなほころびから露呈していく──そのことをあらためて実感させられた出来事でした。

感想

裁判に勝訴してから2年が経ち、今あらためて思うのは——「最初から最後まで一人で頑張るのは本当に大変だったけれど、それでも勝ってよかった」ということです。

誤解されている方もいるかもしれませんが、私は誰かに手伝ってもらって証拠を集めたことは一度もありません。すべて、自分の力で行いました。

私の事件は性被害事件であり、社会的に見れば深刻なものではありますが、それでもたとえば綾瀬の女子高生殺害事件のような強烈なインパクトがあったわけではありません。

袴田事件のように、自白の強要や証拠の改ざんといった問題があったわけでもありませんし、死刑判決を受けて何十年も刑務所に収監されていたわけでもありません。

日本では毎年のように数百件の殺人事件が発生しています。

その一つひとつに、深い悲しみと苦しみを背負った遺族がいます。

そうした現実を思うと、「私だけが特別に苦労しているわけではない」と感じることもあります。……もちろん、私にとっては非常に辛い経験でしたが。

時に、人は興味本位で物事を騒ぎ立てます。事実かどうかの確認もせず、他人を非難したり追い詰めたりする。

そして、自分が過ちを犯しておきながら、それが明らかになるのを恐れて他人に圧力をかけたり、不誠実な言い訳をする人間もいます。

時には、本人の意思を無視し、信じられないほどの理屈で強引に何かを押し付けてこようとする人もいます。

まるで迷惑系YouTuberのように、自分の身勝手な思い込みだけで周囲に迷惑をかけている人もいるのです。

小学生時代の担任の言葉を思い出します。

「君がそれでいいと思っていても、相手にとっては良くない場合があるんだよ」

その通りです。誰もが他人に好き勝手につきまとっていたら、社会は成り立ちません。人間関係は他者を尊重することで成り立ちます。

相手が嫌がることをゲスな興味本位の感情で騒ぎ立てようとするのは最も慎むべき事です。

他の人は許されないのに、ある人だけがそうした行為を許されるなどということはありえないのです。

もし、それが許されるのであれば、加害者が私にしたことも「許される」ことになってしまうでしょう。

何よりも私が不快に思うのは、私自身がそうした人間と「同じような存在」だと誤解されてしまうことです。

担任の先生は、もう一つ大切なことも教えてくれました。

「いい加減な人と付き合うと、君もそう思われてしまう。だから、そういう人間とは関わってはいけない」

この2年間、いろいろなことを感じてきました。

外を歩いていると、私のことを記事などで知っていながら、あえて知らないふりをして自然に接してくださる方々がいます。

そうした方たちの存在には、心から感謝しています。

これまでの経験を踏まえ、当サイトは今後、更新を行わないことにしました。

ただ、私の中には今も、「いじめや体罰に苦しんでいる子どもたちを何とかしたい」という思いがあります。

何かしらお役に立てればとは思っています。ただ、もう少し時間がかかると思います。

私の人生は私のものであり、誰かに都合良く振り回されたり、誰かの興味本位の都合で左右されるものではありません。

興味本位で極めて自分本位な考えで他人の人生を振り回そうとするのは、やめていただきたいと思います。

掲載された書籍など

たかまつななのSocial Action!

内容としては、人によってはキツいと思う部分があるかもしれません。

ただ、私の中学時代の被害についてよくまとまっていると思います。

ご興味ある方はご覧いただければと思います。

集英社オンライン

たかまつななさんのYouTubeで話した内容を記事にしたものです。

再度読み返しましたが、かなりよくまとまっています。

この記事を読めば私の中学時代の体験については全体像がある程度わかると思います。

興味本位ということもなく、事実関係について丁寧に記載されており非常にいい内容になっています。

https://shueisha.online/articles/-/110854?page=1

ルポ 子どもへの性暴力

113ページから私の記事が掲載されています。

この記事を書かれた藤野記者とは、裁判期間中においても何度か連絡をしていました。

この「ルポ 子どもへの性暴力」は値段は2000円と新書などに比べると少し高いのですが、内容は非常に素晴らしい書籍です。

朝日新聞の記者が、この問題にどれだけ強い関心をもって取り組んできたかというのがよく分かります。

性被害者の支援をされている方だけでなく、子どもにスポーツを始めとする習い事を指導されている方、また学習塾などで子どもに関わられているすべての方にお読みいただきたい本です。

朝日新聞 子どもへの性暴力

「ルポ 子どもへの性暴力」のもととなった記事です。

取材をしたのは、藤野記者です。

実は、藤野記者の取材を受けたのは2021年12月頃です。

その頃は、2022年の2月か3月ころに記事が出ると思っていたのですが、他の方の記事が出て、そうこうしているうちに、裁判をすることになりました。

裁判後も藤野記者とは、私の自宅近辺でお会いしました。

個人的な関係はないのですが、良い体験でした。

https://digital.asahi.com/articles/ASR2X4515R2QUTIL051.html?iref=pc_photo_gallery_breadcrumb

読売新聞 許すなわいせつ教員

https://www.yomiuri.co.jp/national/20210428-OYT1T50218

千葉県の40歳代の男性というのが私です。この頃は裁判に勝つ前ということもあり匿名でした。

コロナ禍だったので、電話で取材を受けたと記憶しています。

今このシリーズを見ると、記事の多さに驚かされます。

最後に──私の価値観を変えた経験について

中学生の頃までの私は、スポーツの世界で体罰を「ある程度は仕方のないもの」と思っていました。厳しさや痛みの中に成長がある──そう思い込んでいたのです。

けれど、高校で所属したバレー部で、暴力のない指導を受けたことが、私の考え方を大きく変えました(途中で退部しましたが、この経験は今も強く心に残っています)。

暴力的な指導を受けた子どもは、それを「当たり前のこと」として受け入れてしまうことがあります。やがて、自分自身や他人に対しても、暴力を許してしまうようになることもあるのです。

一方で、尊重や思いやりに基づいた関わりを受けた子どもは、暴力に直面したときに、「なぜ、そんなことをされなければならないのか」と疑問を持つことができます。

その疑問こそが、自分や他者を大切にする感覚や、健全な判断力の土台になります。

もちろん、指導する側の大人もまた人間です。感情を完全にコントロールするのは簡単なことではありません。

それでも、私が伝えたいのは、「完璧な対応」だけが子どもを救うわけではない、ということです。

たとえば、子どもが学校でいじめや性被害、体罰などに苦しんでいるとき、先生方が最善の行動を取ってくださるのが一番望ましいのは確かです。

でも、仮に“完璧な対応”でなくても、「当たり前の関わり」をしてもらえるだけで、救われることもあるのです。

高校時代のバレー部の顧問は、私に一度も体罰を与えることなく、暴力のない指導がどれほど価値のあるものかを教えてくれました。

彼は私のことを気にかけてくれましたが、中学時代に私を傷つけた教員のように──車で学外に連れ出したり、人目のない場所に呼び出したり、身体的な接触を伴って指導したり──そうした行動は一切ありませんでした。

性的な言動を用いることも、当然ありませんでした。

思い返すと、その顧問が「特別な指導」をしていたとは思いませんし、彼を「優れた教師」と表現するのも正直ためらいがあります。

けれど、彼が大人として当然の振る舞いをしてくれたこと、それだけで、私は中学時代の加害教員の行動が、性暴力だけでなく、教育者として根本的に間違っていたのだと気づけたのです。

その気づきは、私の心にかかっていた“洗脳”のようなものにヒビを入れ、自尊心を少しずつ取り戻すきっかけとなり、やがて裁判で立ち上がる勇気へとつながっていきました。

私のような経験をした方、あるいは今まさに苦しんでいる子どもたちのそばにいる方にこそ、伝えたいことがあります。

**「特別なことをしなくてもいい。ただ、当たり前の関わりをしてくれる大人がいるだけで、人は救われることがある」**ということを。

学校の先生方だけでなく、スポーツの指導者や習い事の先生、塾の講師など、すべての「子どもに関わる大人」の方々に、このことを心に留めていただけたらと願っています。

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